QUANTUMGATE I 悪夢の序章


販売元:ナムコ
定価:7900円
対応機種:Macintosh、SATURN、


 映画と小説が、同じ物語を語っても、全く別のものになるように、物語は、ストーリーやプロット以上に、どのように語られるかに大きく左右される。小説を映画化したもので、それがほとんど小説のストーリーのダイジェスト版になってしまっているような作品があるが、それは、映画というメディアに向いていなかったか、作り手の才能が無かったかのどちらかだ。CD-ROMによって物語を語る作品は、普通インタラクティブ・ムービーなどと呼ばれて、映画のような手法に、プレイヤーがストーリーに干渉したり、ストーリーの進行を決定したりすることをプラスした構成になっていることが多い。しかし、映画とCD-ROMでは、当たり前だけど全然違うものなので、映画に似せようとする限り、映画より面白くなることは無い。
 それは、ビデオと映画というほとんど同じに見えるメディアでさえも起こる事態なのだ。ビデオは、見る画面が小さいことを前提にするため、どうしてもアップが多くなる。最近のハリウッド映画が妙にアップが多いのも、最初からビデオ化を考えて撮られているから、という場合が多いらしい。余談だが、最近では撮影時にスタンダード画面(テレビと同じ縦横比の画面)で撮って、劇場公開時にわざわざ上下にマスクをしてビスタサイズにしている作品も多いらしい。つまり、映画とビデオでは、見せるに当たって効果的な演出が違うのである。ましてやCD-ROMをや、ってね。
 この「QUANTAM GATE I 悪夢の序章」は、ゲームというよりは、ストーリーを、ある程度のインタラクティビティを持たせながら見せていく作品だ。プレイヤーは、物語世界のなかを自由に歩き回り、出会った人の話を聞き、人の様子をうかがい、話を立ち聞きする。ストーリーは、そういった自由行動の合間に、ムービーとして展開していく。プレイヤーは基本的にサブストーリーを自分の手で探しながら、物語に押し流されていく。それは、ほとんど映画を見てる最中に、例えば主人公が登場していない場面になると、主人公を好きに操って、物語の中を探索して歩かせてるようなものだ。
 だから、この作品には、クリアしなければならないパズルもなければ、応対を間違えてゲームオーバーになることもない。ストーリーはきちんと、前へ前へと進んでいく。物語の語られ方としては、映像でストーリーを見せていくのだから、限りなく映画に近い。
 しかし、この作品のエライ所は、それを映画の技法に頼らずに見せている所だ。会議室のようなところで指令を受ける主人公というような場面がある。そこで前に立っている上官が喋るとき、喋る人間のアップの画像が、その場所の画像の上に重なって表示される。しかも、喋ってる人間の背景には、本来その人が立っている場所とは全然関係ない背景が映し出されている。ただの会議室に隣り合わせに立っているはずの人が、かたや豹の模様の壁をバックにしてるし、かたや幾何学模様を背中に背負っている。映像のリアリティという点は完全に無視されているのが凄い。
 それは、ストーリーが、まるでP.K.ディックを思わせるような、精神世界と科学の融合のような、奇妙な世界を舞台にしているせいもあるだろう。しかし、何より、表現するメディアが映画ではなくCD-ROMだということを作る側がしっかりと認識しているからだ。私設軍隊に入隊した主人公が、「QUANTAM GATE」と呼ばれるパラレルワールド転移装置によって、AJ3905という星に派遣される。しかし、そこで与えられる任務には謎が多く、そればかりか、地球にそっくりな太陽や、技師すらも本当に動作するとは思えないというQUANTAM GATE、さらには何らかの精神作用を及ぼす薬品が自分たちに投与されていることまで知ってしまう主人公。過去の追憶と、軍隊入隊時の精神状態の異常さに考え込む主人公。
 そういう謎が謎を呼ぶストーリーを、このCD-ROMは、コラージュやカットバックを多用し、白昼夢や妄想をいきなり挿入することで、ストーリーがはらむ不安定な感じを表現する。同じ画面の中に、同じ人間をいくつも映し出して喋らせるなんてことが普通に行われている。CGと実写の合成も、リアリティよりも不安定な感じを強調するために使われているようだ。それは決してヘタだからではないと思う(多分)。ここに見られるのは、新しい映像表現への挑戦なのだと思う。続編である「QUANTAM GATE II」が、より精神世界の方へストーリーが流れるのを見ても、これは、映画に比べて、アクションでストーリーを語るのに不向きなCD-ROMというメディアに合った物語を、CD-ROMならではの手法で語ろうとする試みであることを表していると思う。その点に関して、この作品はエライ。
 しかし、では楽しいのかと言われると、難しい。やはり過渡的な、実験的なものであるだけに、エンターテイメントとしての完成度が低いし、数々の実験が必ずしも成功していない。そのため、珍作・怪作の類に見えてしまうのだけど、こじんまりまとまった秀作よりも、このCD-ROMの持つデタラメな熱さを、僕は支持したい。
(納富廉邦)


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