忘れられた死


「 鐘がゴンと鳴ありゃサ〜
  上げ潮南サ〜
  烏がパッと出りゃサ〜
  骨があるサ〜イサイ」
「ねえ、その変な唄やめてよ!」
変な唄と来なすったね、この女は。昨晩一緒に見たはずだよ、大名人立川藤志楼の野ざらし。あれに感動しねえったらそりゃ人間じゃあねえって位のもんだ。
「バカ野郎、俺の家で何歌おうと大きなお世話だ、冗談じゃねえよ。」
「そりゃそうだけど、せめて場所考えてヨ。私、今晩も寝るんだからね、そのベッド。」ホイしまった。敵は寝床で来やあがった。そんなに下手かね俺の唄ァ。まあ、しょうがねえ、のそのそ起き上がりのCDポンてえもんだ。流れてくるのは、かの林家三平師匠の孫弟子、少女隊の[P−CAN]だよ。こいつを聞きながら宇治の露製茶の烏龍茶、今年の冬はこれだよ、東京ラーメン。それにしても小朝の奴ァ正蔵を継ぎやがるのかなあ。いっそ三平になりゃあ面白えんだがな。こぶ平もいるしなあ、みどりさんがだまっちゃいねえよってか。
「ねえ、私出かけるんだから、ぶつぶつ言ってないで、見送りくらいしてよ。」
「おっと、だしぬけになんだい、ええ。そもそもいつのまに服着やがったんだい、ついさっきまですっ裸でうろうろしてたじゃねえか。早いねえ、この百人一首の日本チャンピオン。猪木がフォールしたときのミスター高橋のカウントかお前は。」
「何わかんないこと言ってるのよ、黙っていってらっしゃいのキス位できないの?」
いってらっしゃいのキスだとお。てやんでえ、こちとら江戸っこ、そんなマネできるかってんだ、ばかやろう。と、心で思いながらとりあえず抱き締めて、
「いってらっしゃい、気を付けて。」
ああ、しょうがねえ。これが男の業ってもんだ。落語は業の肯定であるってね。ねえ、談志師匠。
「しかしまあ、なんだかんだ言ってもいい女だよ、あいつはよう。俺と一緒に居たところで何のいい事もありゃしねえ。あいつとつきあう前の俺と来た日にゃあ、もうどうしようもなかったからな。あっちの仕事にゃ嫌気がさしちまって、だからといってうかつにゃ動けねえ。一日中、部屋にこもって死んだミュージシャンのレコード聞いてるか、こっそり寄席に行って前座をからかう事しかやってなかったもんなあ。今もあんまり変わりやしねえけどな、まがりなりにも、こっちがわでまあなんとか生きていけるのもみいんなあいつのおかげだ。そりゃ、普段文句ばかり言ってるよ、でもなあ、心ん中じゃ手ェ合わせてるぜ。ありがてえなあ。南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛、あじゃらかもくれん、きゅうれのれす、てけれっつのパア。」
訳もなくお経を唱えてるとき、後ろから人の気配がしたね。こいつは、あっちの連中に違えねえ。そろそろ俺の居所もバレるころだと、おもっちゃいたしな。こっちも昔取った杵柄だ。身体を沈めると同時に反転、相手の後ろから逆手を取って…。
「ちょっと、間違えないでよ、私よ、コノすっとこどっこい。」
「こりゃしくじった、何だ、おめえかよ。何で戻ってきやあがった、え。」
「戻ってくるも何も、私、まだ出掛けてもいないわよ。」
出掛けてねえだと。こいつは困った。先のはなし聞かれたかな。
「出掛けようとしたら、外、雪が降ってたから傘を取りにもどってきたの。そしたら、あなたがぶつぶつ言ってるでしょう。面白いから聞いてたんだあたし。」
「全部聞いたか?」
「うん。面白かった。ただ最後に『せつこさ〜ん』とか叫んで貰いたかったけどね。」
「馬鹿野郎、そんなギャグ、今の若い奴らにゃわからねえよ。名前が一緒の上に寄席で働いてたんだからなあ、お前は円鏡のかみさんか。」
「じゃあ、あなたは円鏡さんね。この紙芝居屋。」
「訳わかんねえ事言ってねえでさっさと行きやがれ、いつ迄ぐずぐずしてるんだよ。」
「ウフン、早く帰ってくるからね。」
「こきゃあがれ。」
あいつが出ていくと、今度ア慎重になったね。とりあえず鍵を調べた後、部屋中見回して誰もいないことを確かめた。おかげで冬だと言うのに、ゴキブリ三匹、鼠一匹退治しちまったい。源頼光は俺かしらん。
「あの、悪趣味野郎、ずっと聞いてるこたあねえだろう。声くらい掛けるがいいじゃねえか。これで、しばらくでけえ口叩けねえ。こっ恥ずかしい事しちまったな。」


 いつのまにか、少女隊の声が止まっていた。あたりが急に静まり返ると、どこからともなく鐘の音が陰にこもって物凄く、クモ〜ン。その鐘の音に誘われるように、巡霊の娘の声が、「あだし野の露きゆる時なく、鳥辺山の烟立ちさらで…」
うすら冷たい風が、背筋を撫で上げる。昼なお暗い森のある隣の社からであろうか。まるで丑の刻参りのようなあやし気な物音、
    こん、こん、
    こん、こん、こん。
ヨミガエル ハクジツムトデモ イウノデゴザイマショウカ。ナニヤラワタクシハ フシギトソノモノオトニ ヒキコマレテイクヨウデゴザイマシタ。
「なんてな。しかしどうして俺って男はこう雰囲気に乗り易いんだろうなあ。」
なあにが、こん、こん、だよ、船木一夫の「心をこめて愛する人に」かよ馬鹿野郎。誰も知らねえよそんなもん。
    こん、こん、
    こん、こん、こん。
おいおい、聞こえるよ、これ本物かい? 近いなこいつは。
    こん、こん。
「お〜い。いるか、いるか、いるかってんだよ。」
なんでえ、ノックじゃねえか。人が雰囲気出してるときに変な音させんじゃねえや。
「いるか、いるか。」
ええい、しつこい。ここまでくれば次のリアクションは、皆さんもうお分かりですね。 さあ、皆様御一緒に、
「いるか、いるかって俺は水族館の人気者か。このやろう。しまいにゃ輪ァくぐるぞ。からくれないに輪ァくぐるとはってな。俺の本名は「とは」じゃねえぞ。」
俺は殆どの人が予想した通りのリアクションでドアを開けたんだよ、Who's bad?
そこに立っていたのは、かつてのバンド仲間の男だった。
「3年ぶりだな、探したぜ。」
奴は嬉しそうに笑ってやがる。その手は桑名の焼き蛤と寿司バーで出すアボガド巻きは食べねえ事にしている。こいつの笑顔にピンとこなきゃあ古今亭志ん五の与太郎だ。だいたい、こんなギャグで笑うような可愛い奴じゃねえ。まあ、そこはおさえて、
「そいつは悪いことしちまったな。まあ、久しぶりだ、とにかくへえんな。」
腹に一物、背中に荷物、奴がここに来たわけについちゃあ、心当たりが無いでもないし、そいつが的ォ当ててるのなら部屋になんか上げちゃあいけねえ、そりゃ分かってる。分かっているけどやめられない。上げちまったのは、俺にも懐かしいって気持ちがあったんだろうさ。もしかすると奴もそう思ったのかもしれねえ。


「とりあえず、コーヒーでも飲むかい?」
奴が何をしにきたのかはともかくとして、古い友達にかわりはねえ。とりあえず、来客にお茶くらいは出そうじゃねえか。
「まさか、インスタントじゃねえだろうな。」
奴は昔からこういうことを平気で言いやがる。黒ずくめの服装といい、部屋の中でも外さないヨングラス、もとい、サングラスといい、外見はどっこも変わっちゃいねえ。ただ、一点を除けば。
「ちゃんと、豆をひいてやるよ。」
「そうかい、じゃあ、モカを1で頼むぜ。」
そういや、この野郎は喫茶店でこういうことを言っちゃあ笑われていたもんだ。久しぶりに俺も笑ったね、こいつ、まだそんなこといってやがる。
「本当におまえさんってえ人は長生きしますよ。」
笑いながら、ついこんな事をいっちまった。ちょっと洒落にならねえかもしれねえ。
「変わらないだろう、昔と。」
ニヤッと笑って奴は言った。何言いやがる、昔の俺と同じ臭いさせやがって。
「そうかい、俺は変わっちまったぜ。おまえと同じにな、分かってんだろう。」
こういう台詞が喉まで出かかったんだが、思いとどまった。何時のまにか俺の言葉遣いが変わっているのに気が付いたからだ。どうして、こんなに雰囲気に呑まれ易いんだろうな俺は。そのせいで、あんな世界に足を踏み入れちまったし。とにかく、ここはニッコリ笑って無難に無難に。シリアスは身体に悪いよ。
「ああ、ちっとも変わらねえよ、この松鶴家千とせ。」
ああ、なんて無難な台詞だろう。
「お前も変わってねえな。相変わらずつまんねえや。」
奴もまた、思いっきりの社交辞令のおかえしだ。嫌だ嫌だ、こうやって腹の探り合いだ。そういやあ、バンドやってたころにこんな風に大人になるのが嫌だと言う15才の少年の歌をつくったな。たしか奴はそのとき、会社を辞めさせられても雄々しく生きていく熱血おじさんの歌を書いていた。どんな歌だ。昔からそういう奴よ、こいつは。
「おい、コーヒー早く頼むぜ、うまい奴な。」
この野郎、厚かましさもちっとも変わってねえ。俺は昔を思い出して言ってやった。
「うまいコーヒーだあ。じゃあへたなコーヒーてのはどんなコーヒーだよ、まったくよ。それとも、馬の胃からコーヒーができるってのか、ぐだぐだいわねえで黙って待ってやがれ、古谷三敏かお前は、この、うんちくたれが。」
「おい、うんちたれとはなんだ、うんちたれとは。俺はミッちゃんミチミチか。」
「誰もうんちたれなんて下品なこと言ってやしねえ。もしそう言ったとしても俺なら上品に大便たれと言うぜ。じゃなかったら、Qたれ、だな。」
「なんだ、そりゃ。」
「この野郎、小林信彦先生の悪魔の下回り読んでねえな。」
こういう馬鹿げたやりとりをしているうちに人間てえのは不思議なもんで、俺も奴も本当に昔のままの友達のようになっていったような気がする。気のせいであることは分かり過ぎるくらい分かっていたが、少し年代物の時間に酔った。
「コーヒー、うまいぜ。飲まねえのか?」
奴が言い、それに俺が、「いや、コーヒーは、一口に限る。」と、答えた瞬間、時間は現在に張りついた。酢豆腐が、ハードボイルドになるとは気が付かなかった俺は、奴の妙に醒めた目を同じような目で眺めている自分を感じた。


「ふうん、お前まだこんなの聴いてるのか。」
奴は絨緞の上に散らばっているレコードの中の一枚を手にして言った。大きなお世話だ。何聞いてたっていいじゃねえか。Led Zeppelinだ。
「じじいになってもロックを聞き続ける最初の世代だと言ったおっさんの次の世代だぜ、俺は。20年後もやっぱり聞いてるさ。」
「俺はまた、お前は志ん生しか聞いてないのかと思った。」
「バカにするなよ。羽左衛門の切られ与三だって聞いてるんだぞ。」
「お前のやる『野ざらし』好きだったな。」
微妙に話がぎこちなくなってきた。そろそろ来るかな。奴の目線が落ち着かなくなっている。この、素人が。
「今、何やってんだ。」奴はしらじらしい事を言う。
とっくに調べが付いてるだろう、そんなことは。まあ、付き合ってやるさ。
「聞かねえ方がいいだろう。ちょっと凄いからな。」
「ふうん、やばい事か。」
「やばいもやばい、おまえなんざビックリして座り小便して、馬鹿になっちまわあ。」
ああ、またしても無難な会話だ。こうやって引き伸ばしていても何にもなりやしねえ。
「ん、何だ?」ガチャンという音に奴は敏感に反応した。お里がしれるぜ、本当に次から次にボロをだしやがる。
「なあに?お客さん?」やばい!節子の声だ。もう帰ってきやがった。俺は慌てて玄関に走った。2mの跳躍。その間一瞬奴へのマークが外れた。カチッと何かが奴の手元で音を立てた。気にはなったがしょうがない。節子は奴の姿が見えるかどうかと言う所まで来ていた。とりあえず節子をドアの外に押しやる。
「なによ、女の子でも来てるの?」
まったく、何を言い出すんだろうな、こいつは。
「靴、見たろ。何でもいいから、1時間位どっか行ってろ!」
今までの動きから見て奴は組織の内部にいるわけじゃないらしい。ただ、目ェつけられただけだろう。節子は、ここにさえ居なければ安全だ。俺は玄関の土間の物入れから、トロイカをとりだした。電磁撃発、3弾カートリッジ・クリップで、リロードを可能にした奴だ。1年前までのおれの相棒。こんなものを使ってまで、生き延びようとするのか。まだ26才とはいえ社会的には全く使いものにならないじゃねえか。そんな命、なに惜しむことがあろうか。死ぬことでしか過去が断ち切れないのなら死んじまえばいいじゃないか。それとも戦うのか?ならば覚悟を決めにゃあならねえ。部屋から"GOOD TIMES, BAD TIMES" が聞こえてくる。ゆっくりと、俺は奴の居る部屋に向かって歩きだした。ポケットにトロイカを忍ばせる。
「今の女、何だ?」奴は笑っていた。
「別に、関係ねえよ。お前、顔見たのか?」ここが大事なところだ。もし見ていたら…。「ああ、いい女だな。もとは何だい?」やはり見ていたか。
「もとは犬でございます。」とりあえず俺は笑いたくてこんなことを言ったのだが、これじゃ笑えねえ。それでも奴は笑いやがる。しらじらしいって言ってんだろお。もう、限界だ、俺はもう一度あの世界に戻らなければならない。奴には悪いが、俺は生き延びるぜ。覚悟を決めた俺は、一瞬、奴と一緒にバンドをやっていたときの事を思い出した。1987年12月17日、それは余りに遠い幻だった。俺はその幻影をふり切るように、奴の目を見据えた。口の中に苦い物がこみ上げる。いきなり撃つのは今まで友達のような顔をしていただけにやりにくい。俺はゆっくりと噛みしめるように言った。
「玄界灘。」
奴はポカンとしている。そして笑いだした。その瞬間、俺は自分の間違いに気が付いた。俺が気まずそうに顔を上げたとき、奴の顔は俺の知っている奴では無かった。
「そうだな、もう限界だ。」
勝ち誇ったように奴が言う。しかし、それは奴の失敗だった。俺の腕を知っているのなら笑う前に撃つべきだっただろう。奴にとって俺は単なる標的だったはずだ。奴もそして俺も、あの馬鹿な言い間違いをしたときに、すっかり友達になってしまった。少なくとも奴は冷静でいるべきだった。
「安心してゆっくり眠りな。丑三つ刻には起こしてやるよ。」
転がっている奴の死体をこづきながら、俺がこうなっちまう日も近いな、と思った。
                           未完のような気がする。