「借りる」ことが日常生活だった
ことわざに見る、日本人のレンタル観


「砥石は借りると言わずしてくれろと言え」
「鰹節と砥石の借入れはない」

 こんな故事成語を見ていると、日本という国は、本当に「貸し借り」の文化を大事にしてきたんだな、ということがよく分かります。「砥石」は借りるものではない、なんてわざわざ言ってるんですからね。早い話が消耗品は貸すものじゃないよ、ということでしょうが、それをわざわざことわざにしてしまった、というところに、日本文化の面白さがあります。これは、つまり、「消耗品でなかったら、何でも借りてしまおう」ということなんですから。
 もともと、「個人主義」という言葉はもとより、そういう発想自体を、明治になってから西洋から輸入したくらいの国ですから、「自分の物」「他人の物」という区別が苦手な国民性なのですね。

「長者の車も借りれば三年」
(長者の所有する車でも、いったん借りれば三年間は自分の物同然に使える。借りた物は半分は自分の物と同じであること。(小学館『故事俗信ことわざ大辞典』より))

 ということわざもあるほどです。このような考えは、現在にも受け継がれていて、これはことわざではありませんが、「借金も財産の内」なんていう言葉が使われています。「自分の物」「他人の物」という区別が苦手というより、そのような考え方が似合わない国なのでしょう。
 例えば、「長屋」という制度を見ても、お隣さんから、ちょっとおしょうゆを借りたり、お塩を借りたり、そんなことは日常茶飯事です。しかも、そこでいう「借りる」は、ちょっと拝借、という時に使う「借りる」と同じ意味の、「分けてもらう」というような意味なのですから。「借りる」という言葉が、そんなにも曖昧に使われている国だったんですよね。そして、その曖昧さが、人情を生み、「向こう三軒両隣」とか、「とんとんとんからりんと隣組」というようなコミュニケーションのスタイルを生み出してきたのです。

「手を借りる」
「手を貸す」
「猫の手も借りたい」

 こんなことわざからも、「貸す」「借りる」というのが、いかに日常的なものだったかが分かります。もちろん、それは、かつての庶民生活が、そうやって支え合っていかなければ成り立たないものだったことや、にほんの建築様式が、鍵もなければ、部屋を仕切るものもほとんどない、といった、プライバシーというものの存在が許されないような環境だったことにも関係するのでしょう。しかし、それより何より、「人はみな一人では生きていけないものだから」(『ふれあい』より)というヒットソングがあったように、日本人は、「貸し借り」をコミュニケーションとして、一人で生きているわけではない、という確認が欲しかったのではないでしょうか。

「五体は五つの借り物」

 という言葉もあるくらいです。「人間の体は、木・火・土・金・水の五つの万物を形造る元素からできているという意味。仏説からきている。五体は五つの仮り物ともいう。井原西鶴の『好色一代男』に「世は五つの借り物」という文句がある。」(小学館『故事俗信ことわざ大辞典』より)という意味なのですが、これなど、要するに、自分の身体さえも借り物である、と言っているのです。このような、思想(というより『常識』ですね)は、現在、日本人のオリジナリティの無さ、といった指摘を受けていますが、それは、そういう美学であり、生活の知恵でもあるのです。
 「借りる」という事が、決して悪いことではなく、それが当たり前のことであり、美学であり、コミュニケーションの手段でもあったということは、例えば「和歌」の世界でも見られることです。「本歌取り」がそうですね。既存の歌のパターンや情景を借りて、新しいものを生み出そうという芸術が親しまれていた、ということにも、日本人の「借りる」ということに対する考え方を見ることができます。
 最近では西洋でも、「人間は成長過程で様々な情報を得、それによって人格が造られていくため、本来的な意味でのオリジナリティは存在しない」という考え方が随分広まってきましたが、「五体は五つの借り物」ということわざは、それをずーっと昔に表していたのです。

 もちろん、そういうふうに「貸し借り」が生活に密着しているわけですから、そこには、それなりのマナーもちゃんと生まれています。

「借りて七合、済す八合」
「借りる八合、済す一升」

 という言葉からは、「貸し借り」が生活に密着しているからこそ大事な、社会生活のマナーがうかがえます。利子を付けろ、とか言っているのではありません。借りたことへの感謝の気持ちの表し方を言っているのです。日本人は確かに、「自分の物」と「他人の物」の区別が曖昧な、レンタル民族なのですが、それは、このような、相互を信頼する、という美点に支えられているのです。少なくとも、かつての「日本人」はそうだったのでしょう。ことわざは、そんな事も教えてくれます。もちろん、そういう「信頼」を裏切るような人は、嫌われて、生活の場からつまはじきにされる、というシステムもあったわけです。

「庇を貸して母屋を取られる」

 ということわざは、「恩を仇で返される」という意味ですが、こういう言葉にも「貸す」という言葉が出てくるくらい、「貸し借り」と「信用」は、その両方が揃っていることが人としての条件だったのですね。

 そういった庶民文化は、

「高い舟借りて安い小魚釣る」
(高い金を払って、得にもならない道楽をする。好きなことならば損を覚悟で喜んでするというたとえ。(小学館『故事俗信ことわざ大辞典』より))

 というような、おおらかな雰囲気を作り上げます。今も昔も、趣味にはお金を惜しまない人はたくさんいたのでしょうね。「野崎参りの舟遊び」や、「十六夜の妙見さん」「お伊勢参り」に「初午の地口行燈」、みんな、庶民の楽しみです。この時ばかりは、なんとかお金や着物を工面して、みんなで楽しく遊んでしまおう、という思想は、やっぱりいいですよね。このことわざにも「高い舟借りて」とあるように、祭やイベントにも、「借りる」ことで参加する、それが江戸の町人文化だったようです。借り物だから、お金持ちじゃなくても、参加出来るし、みんな、自分に合った形でイベントを楽しめたのです。何かイベントがあると、「これは広告代理店の陰謀では?」とか勘ぐらなければならなくなった現在では、無邪気に遊べるイベントがなくなってしまいましたが。

 一方、目を西洋の方に向けると、日本との余りの違いにビックリしてしまいます。

「金を貸すとしばしば金と友を一緒に失う」
(シェークスピア。『ハムレット』第一幕第三場より)
「友を遠ざけたければ金を貸してやれ」(ハンガリー)
「借りる時は友、返す時は敵」(フランス)
「借る者は貸す人の僕となる」(『旧約聖書』「箴言」22・7)

 この手の、「貸し借りは不実の始まり」とでも言うような言葉は、西洋全域にわたって驚くほど頻繁に言われているようです。流石は、個人主義の行き届いたお国柄、と言うべきでしょうか。前に日本建築の話を書きましたが、西洋は、石造りで鍵の文化が発展していた、ということも関係あるのでしょう。
 このような言葉は、現在では日本でも多く言われていることですね。「友達同士の金の貸し借りは絶対にするな」と、子供に教えているご両親も多いですね。しかし、この手のことわざは、日本にはほとんど無いのです。せいぜいが、

「金を借るは憂いを借る」

 ということわざが見受けられる程度で、しかも、全く同義のことわざがイギリスにもあることや(He that goes aborrowing, goes a sorrwing)、「憂い」という言葉は、それほど古い言葉ではないことを見ても、このことわざ自体、明治以降にイギリスのものを翻訳したものが伝わっていると考えてよさそうです。
 つまり、「信頼」「信用」と、「貸し借り」に対する考え方、生活と「貸し借り」の結びつきなどが、かつての鎖国政策を敷いていた日本と、ヨーロッパの白人社会を中心にした西洋文化とでは、状況も捉え方も全く違っていたのでしょう。それにしても、この手の「借金」の怖さを伝えることわざが日本にはほとんど無い、というのは凄いことですね。しかも、

「千貫目借るにも印一つ」
(借金の証文の印鑑は、額の高低に関係がない。返す苦労を考えに入れなければ借りるのは楽なことである。また、どうせ印をつくのなら、多く借りた方がよいということ。(雄山閣『故事成語ことわざ事典』より))

 ということわざさえあるのですから、その感覚の違いは相当なものなのでしょう。

 また、同じ東洋である、中国では

「車を借る者は之を馳せ、衣を借る者は之を被る」
(人から借りた物でも、借りている間は自分の思うままに使用できるので、ややもすると粗略に扱うというたとえ。(雄山閣『故事成語ことわざ事典』より)

 のような、借りた物に対するマナーについてのことわざがあります。中国でも、日本と同じく、「借りる」ということが生活に密着していたことがうかがえます。

「興馬を仮る者は足を労せずして千里を致す」(淮南子・主人術訓篇)
「借りた馬は疲れない」(イギリス、スペイン)
「借りた馬は道のりを短くする」(デンマーク)

 というような、「借りる」ことのメリットについての言葉も、世界中にあるところを見ると、決して西洋人も借りることが嫌いではないようです。「借りる」ことが、生活をいかに潤してくれるか、ということへの考えは、洋の東西を問わず、共通しているようです。だから、大きな違いは、「お金」というものの捉え方なのでしょう。
 それを分かりやすく表したことわざに、

「五割の金を借りても朝酒は飲め」

 というのがあります。爽やかな、いい言葉だとは思うのですが、ここまで来ると、日本人でも眉をひそめる人がいるでしょう。でも、そこまでしたいの? と思ってしまうのは、私たちが、現代という世知辛い世の中に生まれてしまった不幸なのかもしれません。