いしいひさいち「ほんの一冊」
朝日新聞社 952円

読む前に読むか、読んでから読むか。天才いしいひさいちの書評四コママンガでベストセラーを笑おう

 書評のぺーじで、こういうことを言うのは何だけど、雑誌に載せる、この手の、本の紹介を兼ねた書評を書くのは難しい。本は、その内容を表現するのに必要だからこそ、それだけの言葉を使うのだから、内容の紹介は、その一部を一面的な見方で書くしかない。さらに、論評を加えようと思うと、それは、どこかでネタばらし的なものにならざるを得なかったり、未読の人には何を言ってるのか分からないものになりがちだ。パソコンソフトのレビューなら、その機能を紹介し、使用感を書けばレビューとして成立するけれど、本や映画、音楽、マルチメディアCD−ROMなどに、その手法は使えないのだ(そのことを理解できなかったパソコン雑誌の編集部のせいで、マルチメディアCD−ROMが誤解され、きちんと紹介されることもなく、良いもの悪いものの区別がなくなってしまったのだけど、それはまた別の話)。
 この「ほんの一冊」では、見開き単位で、左に書評、右に、その本を題材にした四コマ漫画という構成が取られていて、左の文章部分は内容紹介を中心にした未読者対象のもの、右のマンガは、その本を読んでなくても笑えるけど、読んでいればいっそう面白いという、いわば論評的な内容のものになっている。どんな本であろうと、ギャグマンガとして処理しつつ、それが論評にもなっているといういしいひさいちの芸を見るだけでも面白いのに、書評としての最大の目的、つまり、「この本、読みたいな」という気にさせるのだから、同じ書評ページをやってる者としては、悔しいやら参考になるやらで、なかなか困った本ではある。
 さらに、この本は、前半三分の一が、三人の小説家をメインにした文壇マンガ(広岡先生のシリーズと言えば、ファンには分かると思うが)が収録されていて、マンガとしては、書評マンガよりも面白い。このあたりが書評の限界か、というか、書評に面白さというのは必要なのか、という気もするけど、文章にしてもマンガにしても、役に立つとか、情報が得られるとかいう以前に、読んで面白い、というのは、全ての文章にとって大前提なのではないだろうか。難しいけど。